皆様、乙。
最近関東圏で地震が続いてますね・・・ヘルス侍です。
先日の夜中に起こった地震・・・さすがに皆さん怖がってましたね・・・お気を付けください。
まあ私の住む伊豆はそこまで揺れてないというのもあるかもしれませんが・・・
私は震度3クラスの揺れなら何も感じなくなってしまいました。
何故なら・・・あの東日本大震災をアリーナ席(福島県海岸通り)で経験しているからです。
いやー懐かしい。
思えば凄い体験をしたもんです。
という事で・・・コロナ自宅待機で暇しているので・・・
当時、現地で起こった事などを思い出しながら日記を書いてみます。
万が一大きな地震があった場合に取らなければいけない行動の引き出しにでもなれば幸いです。
2011年3月11日
当時私は福島県双葉郡の富岡町という所に住んでおりました。
富岡町の事業所に転勤してちょうど1年くらいでした。
ちょうど青いマークの場所あたりが住んでいたアパートです。
ちなみに赤いマークがあの福島第一原子力発電所です。
なかなかに近くて笑えます。
この大震災の日は会社で仕事をしておりました。
もし当日会社が休みだったら死んでたかもですね。
休みの日は海沿いでジョギングをするのが好きでしたから。
仕事で良かったです・・・マジで・・・。
さて、この3月11日・・・会社の事務所で仕事をしていたら・・・いきなり凄い揺れを感じました。
サービス業でしたので、ソッコーで売り場へ駆けつけると・・・
アルバイトのみんなが避難訓練で練習した通りに自動ドアを開けた状態で売り場にいたお客さんを誘導して逃がしてくれてました。
ちょっと感動しましたね。


全員の避難を確認してから外に出ると・・・会社の事業所の建物がゆっさゆっさと真横に揺れてます。
あの光景は今でも脳裏に焼き付いていますね・・・。
しばらくして揺れはおさまりました。
幸いにもけが人も無く良かったです。
アルバイトに感謝。
お客さんをすべて帰してから、我々も緊急避難先の高台の学校へ避難しました。
富岡第一中学校。表土を削る除染作業の実証実験中。ここに設置されたモニタリングポストの線量は0.3マイクロシーベルト毎時程度。しかし、場所によっては1マイクロシーベルト毎時に。隣の富岡第一小学校の側溝は6マイクロシーベルト毎時だった。 pic.twitter.com/rPYAJc7nYz
— 津田大介 (@tsuda) July 5, 2013
たしかこの学校に避難してたかな・・・。
その日は夜まで学校の校庭に車を停め、車内で待機してましたが・・・。
夕方まではずっと震度4~5クラスの地震が連発してました。
夜になりようやく揺れも収まってきたので海沿いの自分のアパートまで戻ります。
家まで数百メートル地点まで来た時・・・
荒れ果てた周囲の光景に私ビビります。道路にも大小の石や木片が散らばっており、周囲が瓦礫の山です。
そして前方から来たパトカーとすれ違います。
パトカーに乗っていたポリスが『この先はなんもねーぞー』と訳わからない事を言います。
自分のアパートに帰ると・・・ギリギリでアパートは無事でした。
しかし、アパートの前に瓦礫が大量に積まれています。
『ここにいたら死ぬな』と思ったので、通帳や印鑑などガチな貴重品と寝袋だけ持って山奥の小学校へ避難しました。
その日は小学校の体育館で一晩明かしました。
夜中になりようやく電波が繋がり親への連絡もできました。
そして携帯ニュースで福島原発がデカい津波をくらう動画を見て驚愕しました・・・。
この時間でようやく起こっている事の現状が呑み込めましたね。

富岡町からの脱出
朝になったのでまた家まで戻ります。
ここでまた私ビビります。
私のアパートと海の間は1キロメートルほど距離があり、その間に林や民家がありアパートから直接海は見えなかったのですが・・・
すべて津波で流されアパートから海が見えるようになっていました・・・。
海を見ながら・・・天災の前には人間は無力だなーなんて思いながら呆然としてましたね・・・。
そしてアパートから徒歩10分くらいの所にあったJR常磐線富岡駅まで歩いてみます。
もう民家は完全崩壊しています。
そして駅も・・・駅舎や改札、併設の売店、駅前のレストランも無に帰していました・・・恐ろしい・・・。
上の写真は元は改札と駅舎があった場所です。何も残ってないですね・・・。

とはいえ・・・終わったことはしょうがないので・・・
心機一転、やれる事はやろうと思い出社します。
他の社員もわりと元気で・・・『とりあえず、ケガしない様に注意しながら会社の片付けからやるかー』なんて話をしていたら・・・
町内放送が流れます。
『福島原発から放射能が漏れているかもしれませんので避難してください』
マジかよwww
さすがにヤバそうなので・・・会社のメンバーでまとまって紹介された避難所に向かう事にしました。
一度、家へ戻りノートPCなど持てるだけの貴重品だけ車に乗せ・・・避難を開始します。
とりあえず内陸に向かって指定された避難所を訪ねていきます。
しかし・・・どこも一杯で・・・どの避難所にも入れません。たらいまわしにされます。
結局5か所の避難所を回るも、どこも入れず・・・。
富岡と郡山の中間点に来た時・・・
メンバー間で『下手に避難所回るより郡山にでてビジホでも泊まった方がよくね?』という意見でまとまり・・・
郡山へ向かいました。
その途中でなぜかラーメン屋も営業してましたので、昼食にラーメン食べました。

そして郡山到着。
郡山駅近くのビジホに空き部屋が沢山ありましたので皆でそこに宿泊。
夕食も皆で一緒にレストランへ食べに行きました。
風呂も入れて、ベッドでぐっすり寝れたので・・・なんか凄く余裕のある避難でしたね・・・。
結果論ですが、避難所に入れなくてマジで良かったす。
避難所に行かずにホテルに泊まるのはアリでしょうね。精神消耗度が違う。
避難所の体育館とかで・・・エアコンもなく、風呂にも入れず、一人1畳くらいのスペースで何泊も過ごすとか無理でしょ。耐えられない。
どうしても避難所にいなければいけない理由でもない限りはホテル宿泊をお勧めします。

神奈川のへの帰宅
郡山のビジホに2泊している間に・・・会社から自宅待機指示が出たので・・・
神奈川の実家に帰る事になりました。
しかし、郡山から神奈川は遠いです・・・。
通常なら東北道を使えるのでそこまで大変ではないのですが・・・
当時東北道は物資輸送の為に一般車は全て利用禁止になっているので・・・。
下道で行くしかありません。
そしてさらにヤバいのが・・・ガソリンが2目盛り分しかない。
郡山近辺のガソリンスタンドはどこも給油できない状況。
これは少々アツい。
しかし、行くしかないので・・・一か八かで帰る事にしました。
ガソリンの消耗を抑えるために、エアコンを切って運転したので車内はメチャ寒いです。
そしてなるべくアクセルを踏まない様に運転します。無駄なガソリン消費は極力抑えます。
郡山から国道4号線をひたすら南下します。
しかし如何に節約しようともガソリンは有限です。
那須塩原付近で車のエンプティランプが点滅しました。
ヤバい・・・詰んだ・・・。
このあたりのホテルでガソリンを入れられるようになるまで泊まるか・・・
なんて事を考えていたら・・・奇跡的に那須のガソリンスタンドで給油ができました。
1台につき10リットルまででしたが十分な量です。
良かった・・・マジで良かった・・・。
結局、郡山から神奈川の実家まで帰るのに16時間くらいかかりましたね・・・。
今までの人生で一番運転に疲れました・・・。マジで疲れた・・・。
実家についてからは即爆睡で15時間くらい寝た記憶があります。
東日本大震災の避難においての反省
まあ、この時の避難に関しては意外と良い判断が出来たのではないかと思います。
運も手伝いましたが大きなミスはなかった。
唯一失敗したのは富岡から郡山へ行く過程でガソリンを入れておかなかった事でしょうかね。そこまでは頭が回りませんでした。
とりあえず、災害時は以下の点は考慮したほうが良いでしょう。
ポイント
・会社での避難訓練はやっとけ。
・避難だからと言って避難所にこだわるな。泊まれる状況であればホテルに泊まれ。
・ガソリンは入れられるチャンスがあれば常時満タンにしておけ。
というのが私からの提案です。
てか私が存命中に二度とこんな地震がありませんように・・・。
マジでもう勘弁してほしいす・・・。
以上です、私の暇つぶしに付き合っていただきありがとうございます。